EQ COLLEGEコラム15
長嶋茂雄×感情

去る6月3日、長嶋茂雄さんが逝去された。日本テレビが2時間の特別番組を組んだのは想像の範疇だが、NHK「ニュースウオッチ9」が冒頭20分に渡って伝えたのには驚いた。それほどの大事件だったということだ。

言うまでもなく、戦後日本最大のヒーロー。「プロ野球」というジャンルを国民的スポーツにした最大の功労者だ。それだけではない。日本の高度成長の申し子とも言われる。

事実、長嶋“選手”の現役時代(1958年~1974年)は、高度成長期(1955年~1972年)と見事に重なる。打っても守っても走っても、空振りさえもダイナミック。何よりも、喜怒哀楽という感情と体の動きがシンクロする陽性なキャラクターは「太陽」にたとえられた。

だが筆者は、「高度成長の申し子」というよりも、高度成長を生み出した立役者の一人だったのではないか、と思う。日本が敗戦から立ち直り、急速に復興していくために、誰もが必死に働いた。一日の仕事が終わって疲れ切った時、長嶋の姿を見て元気づけられ、「明日からも頑張ろう!」と誓った。長嶋という存在が日本全体にポジティブな感情とエネルギーを生み出し、経済は活性化して日本は成長していったのだろう。

1974年の長嶋選手の引退試合を観た詩人の寺山修司は、こういう言葉を残している。

思えば長嶋茂雄は
百万人の焼土の野球少年の描いた夢が実現した姿だったのだ。

長嶋“監督”になってからは、言葉で人々の感情を掻き立てた。ペナントレースの決着が最終戦に持ち込まれた時の「国民的行事」、11.5ゲーム差からの大逆転を演出した「メークドラマ」という“長嶋語”が日本中を熱狂させた。

おそらく今後破られることのない巨人軍9連覇を牽引した王貞治選手とのON砲では、「記憶の長嶋、記録の王」と言われた。868本塁打という驚異的な記録を達成した王選手が、だれもが仰ぎ見る存在だったとすれば、長嶋選手という存在は、一人ひとりの心(感情)の中に宿っていたのだと思う。

だが,長嶋茂雄さんの死を「ひとつの時代が終わった」と郷愁にひたってはいけないと思う。 「太陽」のような存在は、日本人の「希望」の象徴でもある。

私は長嶋茂雄から逃げられません。これからもそうです。それが私の幸せです。

これは、長嶋さんの告別式での愛弟子 松井秀喜さんの弔辞からの言葉。“天才”と言われたが、実は誰よりも努力した人だということが最近になって知られるようになった。長嶋茂雄に元気をもらった私たちがその恩に報いるのは、閉塞的なこの時代だからこそ、ポジティブな感情を持ち、前向きな感情に溢れた社会にしていくことではないだろうか。

私が長嶋茂雄を思い出す時、同時に心に浮かぶのは、父とのキャッチボールの風景だ。長嶋選手によってプロ野球が国民に浸透すると共に、日本中で同様の風景が見られた。長嶋茂雄は、温かい親子の感情の交流のシンボルでもある。それもまた、私たちが引き継いでいかなければならないものだと思う。

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ジャパンラーニング執行役員 キャリアコーチ教育担当 酒井 章
1984年、電通入社。 クリエイティブ部門、営業部門を経て、2004年からのアジア統括会社(シンガポール)赴任時にアジアネットワークの企業内大学を設立。 帰任後は人事部門でキャリア施策開発に携わる一方、東京汐留エリアの企業・行政越境コンソーシアムを立ち上げる。 2019年4月に独立し、(株)クリエイティブ・ジャーニー設立。アルムナイ研究所をはじめ、さまざまな“越境”の取り組みに携わっている。
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