EQ COLLEGEコラム26
クリスマス×感情
間もなくクリスマス。と言うか、今では11月1日からクリスマス・シーズンが始まっている。
この時期はある意味、一年で一番感情が揺さぶられる季節かもしれない。
街にはきらびやかなイルミネーションが輝き、クリスマスツリーを飾る家も多いだろう。愛する家族や知人とどのような時間を過ごそうか、どのようなプレゼントを贈ろうか・・・その日に向けてだんだん気持ちも高ぶっていく。
クリスマスソングが街に溢れ、クリスマスにタイミングを合わせた映画も公開される。
好きな歌も映画も、世代によってまちまちだが(ちなみに私が好きなクリスマス映画は「ラブ・アクチュアリー」だ)誰もがハッピーな気分になる。
そう、クリスマスは「ハレ」の季節なのだ。

クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う日として始まった。
12月25日という日は、古代ローマの冬至(太陽が復活する日)だとされている。
ただし、ツリーやサンタクロースといった“クリスマスに欠かせない風物”は、キリスト教由来ではないらしい。
そもそもの趣旨から祝祭的なものに変化するに従って、演出装置として加わっていったと思われる。
日本では明治維新によって西欧文化が輸入されると共に日本に伝わり、第二次大戦後はGHQ(連合国軍)の家族が広め、やがて“年末に欠かせないイベント”として日本人の生活に定着した。
キリスト教徒が人口の1%程度とされる日本でこれほどクリスマスに浮かれ、1週間後のお正月には全国民がこぞって神社にお参りにいく様子は、海外からやって来るキリスト教信者の人たちの眼にはどのように映るのだろうか。
私が以前シンガポールを中心にアジア地域で仕事をしていた時は、各国のクリスマスの装飾の違いを見るのが楽しみだった。
中華系が70%を占めるシンガポールでは、中心街のオーチャード通りがきらびやかなイルミネーションで埋め尽くされ、観光客が押し寄せる。
だが、私はフィリピンの装飾が好きだった。シンガポールに比べて派手さには欠けるが、キリスト教国としての信心深さが伝わる。それは言語化が難しい。
不思議なことにシンガポールのイルミネーションを見る時は、ウキウキとした気分になったが、フィリピンのそれを目にする時は、内省が進むような感覚だった。
そして、信心深いキリスト教信者にとって、クリスマスとは、本来、そのような気持ちになる時なのではないか、と思わせられたことを覚えている。
街がきらびやかな雰囲気になり、ウキウキとした人たちが増えるのと反比例するように、さまざまな事情を抱えた人たちはネガティブな感情を増幅させることだろう。
恵まれない人たちに手を差しのべることも、クリスマスの大切な役割なのだ。
クリスマスは、自分の感情とともに他者のおかれた立場や感情にも思いを致す必要がある。
宗教的立場を越えてそれを学ぶ季節だと言えそうだ。
